「彼女いるの?」職場でそう聞かれて、一瞬、言葉に詰まったことってありませんか。相手に悪気はまったくない。むしろ場をなごませようとしてくれている。それがわかるから、なおさら、何も言えなくなる。僕も、そうでした。答えるまでの、一瞬の計算「彼女いるの?」と聞かれたとき、頭の中ではけっこう忙しいことが起きています。「いない、って言えばいい?・・・でも、そうしたら次は『なんで作らないの』が来るな」「正直に話す?・・・いや、この空気でそれはちがう」。ほんの数秒のあいだに、僕らはいくつもの分岐を計算している。その場では、たいてい笑って受け流す。でも、流したあとに少しだけ残る感覚があるんですよね。本当のことを言わなかった、というより、言える場所じゃなかった、という感覚。「合わせる」のは、弱さじゃない当事者でない人からは、こう見えるかもしれません。「嘘をつかなくてもいいのに」「自分らしくいればいいのに」と。でも、その場をうまく合わせるのは、弱さでも嘘でもないと思うんです。自分の安全や、明日からの働きやすさを守るために、僕らはとっさにいちばん波風の立たない答えを選んでいる。それは、ひとつの知恵だと思います。カミングアウトをするかしないかは、その人がその場で決めること。合わせることを選んだ日があっても、それでいいんだと、僕は思っています。なぜ恋バナは、こんなに居場所を試すのか恋バナそのものが悪いわけではありません。距離を縮めるための、ありふれた話題です。ただ、その「ありふれている」前提が、いつのまにか「みんな異性を好きなはず」という設計になっていることがある。そうなると、当事者にとって恋バナは、雑談ではなく、毎回どう振る舞うかを試される場面になってしまう。しんどいのは恋バナ自体ではなくて、そこに混ざりきれない自分を、毎回ひとりで処理しているところなのかもしれません。周りができる、小さな配慮じゃあ周りの人に何ができるか。大げさなことではなくて、言葉をほんの少し変えるだけで、ずいぶん変わると思います。「彼女いるの?」を「パートナーはいるの?」に。「結婚は?」を「一緒に暮らしてる人いる?」に。性別を決めつけない言い方は、当事者だけでなく、いろんな事情を持つ人にとっての逃げ道になります。そして、相手が言葉を濁したら、深追いしないこと。「そっか」で止めてくれる。その軽さが、いちばんありがたかったりします。話したくなったら、その人は自分のタイミングで話します。ひとりで処理しなくていい恋バナの前で一瞬固まってしまう感覚を、ずっとひとりで抱えてきた人は、きっと少なくないと思います。その小さな計算を、なかったことにしなくていい。同じ場面で同じように言葉を飲み込んできた人は、ちゃんといます。同じ場面を知っている人とO-DINARYでは、こういう「言うほどじゃないけど、地味にしんどい」場面を持ち寄れる場をつくっています。誰かに合わせた日のことも、笑って話せる場所があると、少しだけ肩の力が抜けます。よかったら、のぞいてみてください。