「自分には、その選択肢は最初から無いものだと思ってました」そう感じたこと、ありませんか。僕は、LGBTQ当事者の方と話していて、この感覚に出会うことがすごく多いと思っています。結婚も、住まいも、お金のことも、老後のことも。「どうせ自分には関係ない」「考えても仕方ない」と、入口の手前で、そっと閉じてしまっている。僕も、そうでした。知らないというだけで、自分の人生の地図から、いくつかの道がまるごと消えていたんです。知らないと、選ぶことすらできない選択肢って、知っていてはじめて「選べる」ものだと思います。存在を知らないものは、選ぶことも、断ることもできません。「いらない」と決めることすら、できない。ただ、無いものとして通り過ぎていくだけです。たとえば、パートナーと一緒に生きていくための制度的な備え。任意後見や、医療同意のこと。住まいの契約や、お金の管理の方法。こうした選択肢が「ある」と知っているだけで、心の置きどころが、少し変わってくると思うんです。知らないと、不安は漠然としたまま大きくなっていく。でも、知ると、その不安に名前がついて、輪郭がはっきりする。輪郭がはっきりしたものは、対処の仕方を考えられます。不安の正体は、たいてい「知らない」こと将来が怖い、と感じるとき。その怖さの中身をよく見てみると、「どうなるか分からない」という、知らないことへの怖さだったりします。「歳をとったとき、自分はどうなるんだろう・・・」「パートナーに何かあったとき、自分は何もできないんじゃないか・・・」こういう不安は、当事者だと、よりリアルに迫ってくると思います。家族として認められにくい場面が、まだ現実にあるから。でも、これらの多くは、知ることで備えられるものでもあります。制度を知る。手続きを知る。同じように悩んできた人がどう乗り越えてきたかを知る。知ることは、不安そのものを消してはくれないけれど、不安と一緒に生きていくための、確かな道具になると思います。知識は、誰かに渡すこともできる知ることのいいところは、自分のためだけじゃないところだと思います。自分が知っていれば、隣で同じように悩んでいる友人に、「こういう方法もあるらしいよ」と渡せる。当事者のコミュニティの中で、知識は手から手へと回っていきます。僕は、これがすごく大事なことだと思っています。LGBTQの情報って、まだ家庭や学校で自然に手に入るものになっていない。だからこそ、当事者同士で持ち寄って、補い合っていくしかない場面が多いんです。誰かの「知ってる」が、別の誰かの「選べる」になる。学ぶ場、出会う場の意味ひとりで本を読んだり、ネットで調べたりするのも、もちろん大切です。でも、同じ立場の人と話す場には、それとは違う力があると思っています。「自分だけじゃなかった」と分かること。先を歩いている人の、生身の体験を聞けること。質問できる相手がいること。情報は、人と人のあいだを通ったときに、いちばん深く届くと思うんです。「知る」が「腹に落ちる」に変わる瞬間は、たいてい、誰かとの会話の中にあります。知識は、それを持つ人を少しだけ自由にしてくれる。選べる自分になるための、いちばん身近な道具だと思います。ひとりで抱えなくていい知らないことは、恥ずかしいことでも、遅れていることでもありません。誰だって、最初は知らないところから始まります。O-DINARYでは、制度のことや暮らしのこと、生き方の選択肢について、当事者同士でゆるやかに学び合える場をつくっています。誰かの「知ってる」に出会いに、よかったら一度のぞいてみてください。あなたの選択肢が、少しずつ増えていきますように。