「あ、友達です」そう言った瞬間、胸のどこかがほんの少しだけ重くなる・・・そんな経験、ありませんか。職場の人に、親戚に、たまたま道で会った知り合いに。隣にいる大切な人を、とっさに「友達」と紹介する。間違ってはいないんです。でも、本当のことでもない。その小さなズレが、口にするたびに静かに積もっていく。僕も、そうでした。嘘ではないけど、本当でもない「友達」という言葉は、便利なんです。波風が立たない。相手も深く詮索してこない。その場をなめらかに通り過ぎることができる。でも、なめらかに通り過ぎたあとに、必ず残るものがある。「今、自分はいちばん大事な関係を、いちばん軽い言葉で説明したな」という感覚です。大切にしている人を、わざわざ小さく見せている。そのことに、自分でも気づいている。だからこそ、ちくりとする。たった二文字を口にするだけなのに、なぜかどっと疲れる日があるんです。慢性的に、少しずつ削られていく一度や二度なら、なんてことはないと思います。でもこれは、年単位で繰り返されるものです。引っ越しの手続きで。病院の付き添いで。実家への帰省で。友人の結婚式の二次会で。そのたびに「友達」と言い、そのたびに小さく自分を縮める。一回いっかいは小さくても、積み重なると、ボディブローのように効いてくる。「自分が嘘つきになっている気がする」と感じる人は、きっと少なくないと思います。本当は誰も騙していないのに、誠実でありたい人ほど、その感覚に苦しむ。これは性格の問題ではなくて、言わせない空気のほうに原因があるんだと、僕は思っています。「言えない」のは、あなたが弱いからじゃないここを、はっきり言いたいんです。「友達」と言ってしまうのは、勇気が足りないからでも、関係を軽く見ているからでもない。その場で本当のことを言うと、何が起きるか分からない。説明や、相手の反応や、空気の変化を、全部自分が引き受けなきゃいけない。だからとっさに、安全な言葉を選ぶ。それは弱さではなく、自分を守るための、ごく自然な判断だと思います。問題があるのは、言えなかった人ではなくて、言える空気が用意されていない場所のほうです。「友達ですか?それともパートナーですか?」と、どちらでも同じ温度で受け取ってもらえる場面が、もっと当たり前にあればいい。そう思います。全部を背負わなくていいだから、無理に全部の場面で本当のことを言わなくていいと思うんです。相手や場面によって、言葉を選んでいい。コンビニのレジで本当の関係を説明する必要なんてないように、相手や状況によって「友達」を使う日があっていい。それは妥協ではなくて、自分のエネルギーをどこに使うかを決めているだけです。そのうえで、「ここでは本当のことを言ってもいい」と思える相手や場所を、少しずつ増やしていけたら。一カ所でも、言葉を縮めなくていい場所があると、それだけで呼吸がずいぶん楽になる。「ここでは“友達”って言わなくていいんだ・・・」そう思える瞬間が、たぶん一番効くんだと思います。ひとりで抱えなくていい「友達」と呼ぶたびに少しずつ疲れていくこの感覚は、わがままでも甘えでもありません。同じところで小さく息を止めている人は、想像以上にたくさんいると思います。O-DINARYには、言葉を縮めなくていい場所があります。ここでは、隣にいる人を「友達」と言い換えなくていい。よかったら、コミュニティやイベントをのぞいてみてください。あなたが本当のことを、本当のまま話せる場所のひとつになれたら嬉しいです。