「このまま、ひとりで歳をとっていくのかな・・・」夜、電気を消したあとに、そんな声がふっと聞こえてくることって、ありませんか。昼間は仕事や友だちのことで埋まっているからいい。でも、ひとりの時間にだけ顔を出してくる「老い」への不安は、なかなか人に言えないものだと思います。ひとりで老いる、という言葉の重さ結婚して、子どもがいて、孫に囲まれて。そういう「標準的な老後」の絵は、街にもテレビにも、たくさん転がっています。でも、その絵の中に自分を置けないと感じたとき、急に足元が冷たくなる気がする。「誰が気づいてくれるんだろう」「この先、どうなるんだろう」。そういう問いが、まだ若いはずの自分にも先回りして突き刺さってくることが、僕にもありました。「言わないほうが賢い」と思っていた人の話先日、O-DINARYであるゲイのファイナンシャルプランナー(FP)の方にお話を聞きました。ここでは慎吾さん(仮名)とお呼びします。慎吾さんは長いあいだ、こんな感覚の中で生きてきたそうです。「言うリスク・デメリットを考えたら、言わないほうが賢い、という感覚だった」と。その一方で、「本音で話せる相手がいない状況はずっとあった」とも話していました。一般社会ではカミングアウトせず、コミュニティの中だけで自分の話をする。その二重生活は、賢い処世術であると同時に、どこか自分を置き去りにする時間でもあったのかもしれない、と聞いていて思いました。相談したくても、相談できない印象的だったのは、慎吾さん自身がFPであるにもかかわらず、自分が人生相談をする側に回ったときの話でした。相手は当然のように「奥さんは?」と聞いてくる。ストレートであることが前提の会話の中では本音を言えず、お茶を濁す答えしか返せなかった、と慎吾さんは振り返ります。老後の話は、本来とても個人的なものだと思います。誰と暮らすのか、誰に頼るのか、何にお金を使いたいのか。その根っこを言えないまま受ける助言は、どこか他人ごとのまま、自分の手元に残らない。「相談できない」というのは、こういうことなのかもしれません。不安が消えた、ひとつのきっかけその慎吾さんの将来不安が、あるとき軽くなったといいます。きっかけは、SNSで自分より20も20も年上の世代のゲイに、実際に会いに行ったことだったそうです。40代、50代、60代。いろんな生き方をしている先輩たちが、現実にそこにいた。中でも、60代を目前にして犬と一緒に幸せにひとりで暮らしている相談者の話が、強く心に残ったと話していました。「ひとりで老いる」は、寂しさの代名詞だと思い込んでいた。でも、目の前には、ひとりで、機嫌よく、満ち足りて生きている人がいた。その姿を見たとき、慎吾さんの中の漠然とした不安は、ずいぶんとほどけていったといいます。知ることは、選べるということ慎吾さんが残してくれた言葉の中で、僕がいちばん持ち帰りたいと思ったのは、これでした。「知識は選択肢になる。知らないと、選ぶことすらできない」。ひとりで老いる未来も、誰かと寄り添う未来も、犬と暮らす未来も。それを選べるようになるには、まず「そういう生き方が現実にある」と知っていることが必要なのだと思います。慎吾さんはこんなふうにも言っていました。「世界は思ったより優しいのかもしれない。怖がっていた自分は、気にしすぎていたのかも」と。怖さがゼロになるわけではない。でも、思っていたより、世界は受け止めてくれるのかもしれない。ひとりで老いることが、こわかった。でも、こわさの正体は「ひとり」そのものではなく、「この先のモデルを、誰も見せてくれなかったこと」だったのかもしれません。先を歩いている人に出会えれば、こわさは少しずつ、輪郭の見える「準備できること」に変わっていく。そう思えれば、嬉しいです。ひとりじゃない場所で、少しだけ話してみませんか老後のことも、お金のことも、ほんとうは誰かと話したい。でも、前提を説明するところから始めるのは、しんどい。O-DINARYは、その「前提の説明」がいらない場所でありたいと思っています。先を歩く誰かの生き方に出会えたり、同じ不安をそのまま口に出せたりする場所です。こわさを抱えたままで大丈夫です。よかったら、O-DINARYのコミュニティやイベントに、ふらっと顔を出してみてください。あなたの「これから」の選択肢が、ひとつでも増えれば嬉しいです。出典本記事の慎吾さん(仮名)の発言は、O-DINARYが実施したゲイのファイナンシャルプランナーへのインタビュー取材に基づく。発言は本人の語りを編集したものであり、個人を特定する情報は伏せている。