「黙っていたほうが、たぶん賢い」そう自分に言い聞かせたこと、ありませんか。新しい職場、初対面の人、親戚の集まり。話が「結婚」や「恋人」の方向に流れていく気配を感じた瞬間に、頭のなかで小さくシャッターを下ろす。何でもないふりをして、話題を逸らす。僕も、そうでした。言わないでおけば、波風は立たない。傷つかずにすむ。だから「言わないほうが賢い」と思っていました。でもそれは賢さというより、たぶん、自分を守るための予防線だったんだと思います。「期待しない」という鋠人は、何度かがっかりすると、先回りして期待をやめます。否定されたり、固まった顔をされたり、急に距離をとられたり。そういう経験が積み重なると、「どうせ分かってもらえない」と最初から思っておいたほうが、ダメージが少ない。だから、言わない。聞かれても、はぐらかす。それは弱さではなくて、ここまで自分を守ってきた知恵なんだと思います。鋠をまとうのは、戦うためじゃなくて、生き延びるためでした。でも、鋠を着続けると、だんだん重くなってくる。本当の自分を出していい相手にまで、つい鋠のまま接してしまう。そんなふうに感じている人は、けっこう多いんじゃないかと思います。受けとめてくれる人も、たしかにいたここから先は、きれいごとに聞こえるかもしれません。それでも書いておきたいことがあります。怖さを抱えたまま、ほんの少しだけ、誰かに本当のことを話してみたとき。「そうなんだ」と、思ったよりあっさり受けとめてくれる人が、ちゃんといました。身構えていたぶん、拍子抜けするくらい普通の反応で。「・・・あれ、こんなものなのか」と、肩の力が抜けた瞬間を、僕は覚えています。もちろん、いつもそうだとは限りません。全員が分かってくれるわけでもない。でも「世界は全部こわい場所だ」と思い込んでいた頃の僕には、その一人の存在が、想像よりずっと大きかった。怖さは、消えなくていい誤解されたくないので書いておくと、「勇気を出して言おう」と言いたいわけではありません。言うか言わないかは、いつだって自分が決めていい。相手やタイミングを選ぶのも、ずっと黙っておくのも、全部その人の自由だと思います。怖さは、無理に消さなくていい。ただ、「絶対に言わないほうが賢い」と決めつけていた頃の自分に、もし一言だけ伝えられるなら。「思ったより、受けとめてくれる人もいるよ」と、それだけは言ってあげたい気がします。その小さな余白が、ほんの少し、息をしやすくしてくれることもあるから。ひとりで抱えなくていい言う・言わないを決める前に、誰かと話してみたくなったら。同じように鋠をまとってきた人たちと、ゆるくつながれる場所があります。O-DINARYでは、当事者同士が安心して言葉を交わせるコミュニティやイベントを開いています。無理に話さなくてもいい。ただ、同じ温度の人がそばにいると感じるだけで、少し楽になることもあります。よかったら、のぞいてみてください。